平穏無事な暮らし

 

今週は中間試験なるものがあった。今受けている授業は毎週月曜日から木曜日まで2時間の講義があり、それが8週間続く。中間試験があったということはすでにその半分、4週間が終わったことになる。つまりアメリカに来てほぼ1ヶ月が経過した。1ヵ月過ごした率直な感想を述べると、

 

ま~~~特に何もない。

 

そもそも1ヶ月って全然大した期間じゃないだろう、何を期待していたのかという指摘をされたらその通りと言うほかない。しかも自分は授業に行って宿題して時々買い物するだけの生活を送っているので当然何も起こらない。前回の記事から2週間もたったが、やはり特に人に話す価値のあるようなことがあったとは思えない。とはいえ未来の自分のためにも今感じていることを適当に書き散らしていこうと思う。

 

食事の差

 

正直アメリカの食に関しては渡航前の勝手なイメージと全く変わらなかった。朝はコーンフレークと若干のフルーツ、昼はデブ活(大体ハンバーガー、ピザ、サンドイッチのいずれか)、夜は気が向いたら料理の練習という感じ。

 

駅近くのスーパーは巨大であらゆる食材があり、あらゆる食材があるゆえに迷ってしまって適切な買い物ができない。とりあえず野菜やフルーツを中心に買っておき、適当に肉と一緒に加熱して栄養を摂取している。夜は料理の練習と言ったが、ほとんどのものは料理のプロトタイプ的なものになってしまっている。調味料が使いこなせず複雑な調理もできないので、どうしても「?」な味になる。ちなみに昼食代に関しては7~10ドルの範疇に収まり、日々の買い物は週2~3回、1回につき25~30ドルくらいかかっている。最初の1ヶ月なので効率の良さは度外視だが、これからはもう少し節約することもできるだろう。

 

言葉の壁

 

英語に関しては、どうも悲惨な状況だ。英会話を成立させられないことにかなり驚いている。まあ勉強不足は認識しているしそれでメンタルがやられることはないが、「自分はなぜこんなに歪な英語力になっているのだろう?」とつい思ってしまう。

 

授業を受けているのは留学生ばかりなのだが、どうも認識語彙も文法の知識も自分のほうが多く持っている気がする。教科書の音読の際は自分が一番正しく発音できているが、同時に一番悲惨な英語を話すのも自分なので本当に不思議だ。SVOの3語からなる文章を3秒かけて言う人間がどこにいるのか。知っているのと使いこなせるのは全く違うということを知るのには良い教訓だ。これを避けるためにDUOや瞬間英作文の文章を暗記していたのだが、やっぱり暗記しておしまいというのは全然ダメなのだ…(と瞬間英作文のテキストにはしっかり書いてあるが、すぐ暗記してしまい興味をなくしていた)。とにかく放っておいて英語力が向上しないことは1ヶ月の時点でよ~く分かった。

 

文化の壁、人種の壁

 

これは1ヶ月授業を受けて過ごしただけでは感じられない。だがキャンパス内には実に様々な人種の人たちがおり、男女も半々に存在する。すごい。

 

来て良かったこと

 

身近な友人が本当に0人になってしまったが、同時に雑用・雑念も0になり、100%すべて自分のための時間になった。どうせ8~9月に数学科で色々あるだろうと思うと、コミュニケーションにコストを割かなくてよい。現時点ではルームシェアもしていないので、自分勝手な生活を楽しんでいる。思い返せば大学進学で北海道から上京してきたとき、自分はノイローゼになっていた。1つの原因は絶望するほど大学の授業がつまらなかったことにあるが、もう1つの原因は人間関係の構築と新たな環境への順応を同時に進めないといけなかったことにある。今回はどちらの条件も発生しなかったので本当に良かった。他の院生より一足早く来たことが思いがけず良い影響を与えている。

 

また周りに緑が多くだだっ広いこと、快晴の日が多いことも精神に良い影響を与えていると思う。どこか地元を感じさせる風景だ。少し前まで都市が好きだと言ってはばからなかったが、大学のように人と情報が集まるところがあるなら田舎も悪くないのだと思った。

 

ではまた。